▼高さんの第2ルール
日本語上級者の高さんの、「は」「が」使い分けの第2ルールです。これが、一般に「は」「が」の違いとして論じられる主要部分になります。
【第2ルール】主題(主格)を強調する場合、主題(主格)の後に「が」を使う。
文法学者は、面食らうでしょう。「主題(主格)」という言い方は、意味不明です。主題と主格は別概念ですから、両者の共通項というのは考えにくいはずです。当然、主題+主格のことではないでしょう。「主題あるいは主格」でもないでしょう。いいぞ、高さん!
▼主語という用語を避けた高さん
主語という概念が明確なら、高さんも安心して主語と書けたはずです。しかし、主語はあいまいな概念です。主語という用語を避けているのは見事です。第2ルールを見ると、まさに、「は」「が」を実際に使い分けている方のものだと感じます。
主語といえない場合、この主題(主格)は何を意味しているのでしょうか。その後の説明を読む限り、主体のことです。主体は一般用語ですが、お分かりの通り、述部の主体が誰であるか、何であるかを考えれば、明確になります。
▼強調と省略の観点
高さんは、ここで面白い観点から、「は」「が」を使い分けています。「私は高です」と「私が高です」をあげて、強調と省略という観点から使い分けを考えています。
「私は高です」なら「高です」と省略できる。しかし、「私が高です」は、「ほかの誰じゃなく私が」というニュアンスあり、省略すると意味が変るので省略できない…と考えています。さすがに鋭い感覚です。
▼注目という観点からの検討
高さんの言うところを、少し整理しましょう。前半は、以下のようになりそうです。主体を省略できるのに、それを記述する場合、主体には「は」がつく。
一方、「私が高です」の方は、「私が」を省略できません。ただ、「強調」という言い方よりも「注目」というほうが適切かもしれません。「高さん」という名前はわかっているけれども、それがどの人なのかに注目する場面では、「が」がつくのでしょう。
以下の場合など、それにあたります。
「高さんという方がいらしているそうですが、どこにいらっしゃいますか…?」
「私です。私が高です。」
どの人なのだろう…という点に注意が注がれています。そこに注目するからこそ、「私が」になります。ここでは、「どの人(誰)」=「私」=「高」です…という関係です。ですから、「私が」は省略できません。
一方、「誰が参加したのだろうね」「私は参加しました。」という場合、他の人は知りませんが、「私は」参加しましたということです。ここでは、「私」が強調されています。この場合、先の「私が高です」とどう違うのでしょうか。(この項つづきます)