■マニュアルの再定義

▼「肉体労働者」の原文

ときどき意外なことに気づくことがあります。例えば、ドラッカーが肉体労働というとき、原文の英語では、何と書いているのでしょうか。はじめてそれに気づいたとき、やや驚きながら、何だか納得してしまいました。

『経営者の条件』で「肉体労働者は能率をあげればよい」(上田惇生訳)と書かれている部分の原文は、“For manual work, we need only efficiency” となっています。肉体労働というのは、マニュアル・ワークなのですね。

テイラーシステムの下で、マニュアルを使って労働してきた人たちは、たしかに肉体労働者だったのでしょう。ドラッカーの本は、1966年に出版されていますから、50年近く前のものです。もはや、労働形態が変わってきています。

ドラッカーが問題にしていたのは、肉体労働者の社会的地位が低下している点でした。社会から尊敬をえられなくなったら、その仕事は滅びていくという見方です。今後、知識労働中心の仕事に変わっていくというのが、ドラッカーの見立てでした。

 

▼マニュアルの再定義は難しい

マニュアルが不要になるのなら、マニュアルを再定義する必要はありません。しかし、おそらく今後も、マニュアルは必要でしょう。したがって、マニュアルの再定義が必要です。

もちろん簡単ではないでしょう。アルビン・トフラーは,ソニーの盛田昭夫氏と話したときのエピソードを語っています。トフラーによれば,盛田の話は次のようなものでした。

≪工場労働者には、午前7時きっかりに出勤して働けと命令することができる。だが研究者や技術者に、午後7時に来て独創的な仕事をせよとは言えないですよ≫ 『大変動』

言われた通りにできることと、できないことがあります。指示できない活動が価値を生むとなると、簡単にマニュアル化できません。ただ職場環境はどうあるべきか、その点は、何となくわかるはずです。それが、「何となく」では許されなくなってきたのです。

優秀な人を集めたい企業が、よい職場環境を提供しないわけには行きません。

 

▼組織ごとの差が拡大中

例えば、音楽家が楽譜をなぞっても、それは個性を犠牲にすることではありません。創造性に反することでもありません。オーケストラの一員に加わるとき、自分のパートだけでなくて、演奏する曲全体を知っておくことは、当然の前提になります。

集団が創造性を発揮するためには、自由な環境とともに、共通のルールが必要です。いかに組織全体のレベルを上げていくのか、そのためのルールが、業務マニュアルに書かれていてほしいというということです。

このとき大切なのが、目的の明確化です。家族には目的がありません。しかし、組織は、目的を持ちます。その目的達成のために、どうしたらよいのか、そのノウハウを書いたものが業務マニュアルということになります。

業務マニュアルは、たんなる業務の指示書ではないのですが、実態はどうでしょうか。業務マニュアルを見せていただくと、ほとんど手順の記述しかない業務マニュアルが、まだかなり多くみられます。組織ごとに、差が広がっているように思います。

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