2014年7月10日、システムイニシアティブ研究会での、安崎暁コマツ元社長のお話のつづきです。3回のうちの2番目に当たります。1回目はこちらです。メモを基にした再構成ですので、以下、如是我聞です。
▼技術屋さんを生かす方法
会社というのは、不良品を出したら信用をなくします。工場の現場が大事にされないと、いけません。工員の指導・監督手当てを廃止したのは、よくありません。これを復活しました。月に数万円に過ぎませんが、このクラスの人たちを大事にしていることを示しました。
工場長・班長さんをはじめとした技術屋さんを生かす方法は2つあります。一つは、生産部隊と開発技術の専門家を増やしていく方向です。もう一つは、将来、社長になってもらうという方向があります。こちらは、それまで個人に任されていました。
まず、専門職の人には、部長さんより上の給料を出すことにしました。一方、社長候補を10年間で500人選抜して、海外の人ともつき合える人を育成することにしました。ビジネススクールに派遣することもしましたが、社内に、若手が幅広く勉強できるビジネススクールを作って、ここで人材育成をしてきました。
▼「品質と信頼性」
コマツは、1961年に200億円くらいの会社でしたが、今では売上がほぼ2兆円の会社になっています。この間ずっとTQCをやってきたことがポイントでした。ただ、アプライドマテリアルという会社と1990年代におつき合いができてから、あらためて考えることになりました。
アプライドの場合、ユダヤ人の技術者が多い会社で、技術革新を中心にやっていましたから、うちはどういう方向か、なかなか答えられませんでした。1995年に社長に就任したあとになって、「品質と信頼性」ということを言いだしました。
事業の品質、組織の品質、構成員の品質と信頼性を重視することです。これを進めていくことにしました。日本型ハイブリッド経営というとき、年代も幅広く、短期・中期・長期の視点をもって視界が狭くなってはダメだということを言いました。
▼多様性の尊重
グローバルに仕事をするなら、日本中心から多様性を尊重する必要があります。複眼、多眼が必要です。人文科学と理工系の融合、ハードとソフトの両方が大事になってくる。機械と電気、機械と情報を融合していくことが必要です。
人間の体は複雑なので、会社の組織と関係ないのか…と、生物学者に話してもらったり、化学の人や法学者に話してもらうことにしました。
異業種の会を作って、つながりを増やせば、自ずと目が開かれていくと思います。ビジネスマンは視野が狭いのです。内輪の人とばかりつき合っている。お客さんは仲間ばかり、外部といっても、おべんちゃらばかり言う人を集める。それではダメです。
工場から外に行って地域の人とつき合うことを増やしていきました。何だか威張っていると思われたのか、コマツの工場がある地域での製品シェアが低かったのですが、以後、改善していきました。
▼CIOの決め方
コマツは、社内にソフトウェアの会社を持っていました。これは反対も多かったのですが、社内に持ち続けていくのは問題があると思って、専門会社に買ってもらうことにしました。社内でサプライチェーンのすべてをやると大変です。それで、2~3年すると、置いていかれる。カビの生えたソフトウェアの会社になってしまう。
ソフトウェアの技術者には、専門会社に買ってもらうか、社内に残ってもらうか決定してもらいました。自前主義とは違う方向に行くことにしました。同時に、チーフ・インフォメーション・オフィサー(CIO)を決めるとき、情報を利用する人にやってもらうことにしました。ユーザー側の人をCIOにしました。
▼世界で話をして決める
それまで製品を日本で作り、アメリカへ持って行き、欧州へ行き、そのあと中国だったのですが、世界同時に各地で生産販売できるようにもっていきました。ビジネススクールで昼間勉強して、夜は飲む。こうすると人脈ができて、トップクラスの垣根が取れてきました。
教育が思わぬ効果を示しました。情報武装、会社全体のすべての分野、グローバルな広がり、ビジネスの全体の構想は、1995年にはありませんでした。1990年代の終わりに固まってきました。野路さんを本部長にして、すべての執行役員が自分の位置づけがわかるようにしました。
仕事の仕方にこだわる日本では、SAPの導入が難しいというのは知りませんでした。どうしてコマツが成功したのか。コマツの場合、世界で使っているものを入れるということだけです。嫌がる人は取り替える。世界で話をして決めるのです。外国人の意見を聞くことです。海外工場に日本人のエースが行き、3~4年そこに住んで、工場運営を学びます。世界中で情報を共有して、平等に扱うことです。 (3回目につづく)