▼日本語に五文型を適用するときの問題点
寺村秀夫は日本語の文法学者の中でも、飛びぬけた人でした。残念ながら、病気で早く亡くなりました。亡くなる少し前に「構造文型と表現文型」という日本語の構文について一筆書きした論文を書いています。『日本語と日本語教育 13』においてです。
基本文型というと英語の五文型を思い浮かべるだろうと思います。無理に当てはめることも可能でしょう。しかし、そう簡単に意味のある基本文型は作れません。寺村秀夫は、五文型を参考に日本語の構文を作ろうとするときの、主要な問題点を4つあげています。
第1に、「S」をどう考えたらよいのか。主語の定義が明確でない点、さらに主題を「は」であらわし、主格を「が」であらわすという考えの場合、「S」は「何々は」なのか「何々が」なのか、どちらなのか問題である。
第2に、「V」に相当するのは、「動詞」なのか「述語」なのか。英語の場合、「述語」はすべて動詞である。日本語の場合、形容詞も述語になれるし、名詞も「です」や「だ」を接続させれば述語になる。「V」と述語の齟齬をどうするか問題である。
第3に、日本語の述語は、「咲く」と「咲きます」、「琵琶湖だ」と「琵琶湖です」のように「普通体」と「丁寧体」の2通りがあり、この二つのどちらを「基本」とすればよいのか問題である。
第4に、「O」と「C」にあたるものは、どうなるのか。「O」は「目的語」と訳され、「C」は「補語」と訳されているが、その実質的な概念は、日本語において、どういうものになるのか問題である。
▼4つの問題提起を重要だと考える前提
寺村秀夫は、4つの問題について、明確な答えを出していません。簡単に答えが出せる問題ではないのかもしれません。日本語を外国人に教えるという観点を大事にした学者ですし、日本語教育というテーマの論文ですから、その後の展開は学習方法に移っています。
しかし、とても重要な問題の提示だったと思います。もし、ビジネス文を書くときのルールが必要だと考える人がいたら、上記4つの問題点について考えてみるのも、よい頭の訓練になるのではないでしょうか。
もしも日本語に基本構文などないという考えに立つならば、この種の問題提起は意味がありません。あるがままの文を重視して日本語の文のルールを考える立場の場合、日本語に「S」などない…というだけで終わりでしょう。
逆に、日本語に骨格があると考えるなら、基本型を考える必要があります。とくに日本語の読み書きに限定した上で、簡潔・明確な文をよしとする価値観を持って、日本語をルール化しようとする立場(規範文法)に立つならば、4つの問題提起は重要です。
▼日本語のバイエルの立場
私が提唱する「日本語のバイエル」の立場を簡単に示します。まず第1の「S」について。「S」に該当させるべきものは、「主体」であると考えます。寺村論文でも、主語を「主格に立つ名詞」ととる立場への言及があります。その立場をよしとします。
第2の「V」について、動詞でなく、述語であるというのに近い立場です。ただ、述語の定義をどう考えるかにもよります。「このクリームは肌にやさしい」の述語は「やさしい」でしょう。日本語のバイエルでは、「肌にやさしい」と考えます。述部といいたくなります。
述語という用語も、主語同様、定義が明確ではありません。ここで重要なことは、日本語のバイエルでは、主述関係を認めるという点です。主述の対応関係があることによって、主体と述部(述語)が決定されるという立場をとります。
先の例文の主体は「このクリーム」ですから、それに対応するのは「肌にやさしい」になります。「やさしい」だけでは、対応関係が希薄です。対応関係がある場合、両者だけで文を作って見ればわかります。「このクリームは」…「やさしい」では不十分ですね。
英語の場合、主語が先にあって、動詞がそれに続く語順の基本があります。一方、日本語の場合、語順の代わりに、対応関係の有無が問題になると考えます。「S+V」という英語の骨格は、日本語の主述の対応関係に当たるという立場です。
第3の「普通体」と「丁寧体」の違いは、文の骨格の問題ではないので、特に問題にしません。現在形と過去形で、構文を変える必要がないのと同じです。構文を考える際に、考慮しなくてはならない問題ではない、ということになります。
第4の「O」と「C」について、目的語とか補語という概念を日本語に当てはめようとしても、齟齬が大きすぎて、役に立たないと考えます。目的語を単純に「~を」に当てはめようとすると、混乱が起こります。あえて、英語にあわせる必要はないと思います。
日本語のバイエルで、「O」と「C」の代わりに考え出した概念が「焦点」です(「焦点をめぐって」)。主述関係以外で、文を成立させるのに必須の要素となるものを「焦点」と呼んでいます。接続する助詞の有無と種類によって、構文が3つに分かれるという立場をとっています。
寺村秀夫の提起した問題は、ビジネス文(簡潔・的確な文)をどう書くかを考える際に、避けて通れないものだろうと思います。今回、私見の結論のみ示してみました。