1 「主語・述語」のみを読む…?
たくさんの文章を読まなくてはならない人は、文章を一語一語ていねいに読んでいられません。そのことを前提に、文章を書いておく必要があります。特別な方法はありません。一般にいうところの簡潔・的確な文を書いておけば十分です。
次々と文書の処理をしなくてはならない人は、大事なポイントを発見するために読んでいます。目を通しただけで終わってしまう文章も多くあるはずですが、大切なポイントが見つかったならば、その部分をきちんと読もうとするはずです。
河田聡は『論文・プレゼンの科学』で、<限られた時間にたくさんの論文を読む教授たちは、主語と述語だけしか読みません。和文でも英文でも共通です。主語、述語以外はすべて飛ばして読むのです>…と書いています。
例文があります。<みんながすっかり車に興味をなくしてしまった今日の日本では、乗る車はどこのメーカーの車でもかまわなくて、人々は一番台数の多く売っているトヨタの車を買う>…という文の場合、どう読まれるのでしょうか。
<「みんな、車を買う」と読みます>…とのことです。なかなか示唆に富んだものです。もしかしたら、そうなのかもしれません。ただ、「みんな、車を買う」は主語と述語とは言えないですね。「みんな」を主語と読むのは、読み間違いでしょう。
主語は、「人々は」になるはずです。また、述語は「買う」になります。主語と述語だけ読むならば、「人々は…買う」になります。ここで言っているのは、「必須成分(主体+焦点+述部)」のようです。日本語なら、必須成分だけ…ということですね。
2 「S+V」と「主語・述語」の違い
英語の場合、五文型を見ると、すべてS+Vの形がはじめに来ますから、文のはじめのほうを読めば、ある程度、骨格がわかります。S+Vしか読まない…ということ自体、簡単に実行できます。しかし、日本語の場合、主語は簡単に見つかりません。
その代わり、述語は文末に来ますので、わりあい簡単に見つかります。私たちが、述語中心の会話になりがちなのも、そこが大切なうえ、見つけやすいからだろうと思います。「行ったの…?」「行ったよ!」で成り立つ会話もかなりありそうです。
日本語の場合、述部が安定していて強い存在です。末尾にあるために目立つと言うだけではありません。複合的にことばが重なります。例えば、「遅れてすみません」という言葉なら、私が遅れることと、相手に申し訳ないと思っていることがわかります。
あるいは、さまざまな話のあったあとに、「…というわけではありません」ときたら、前の土台がすべてひっくり返ります。ひっくり返ることがらを押さえておく必要はありますが、それ以上に大切なのは、ひっくり返る述語のほうです。
つぎつぎ文書を読まなくてはいけない人の場合、日本語では、述部にアクセントを置いて読む傾向が現れます。こうした傾向になるのは、日本語の特徴として自然なことです。書くほうも、読み飛ばされないように、この観点からの対策が必要になります。
3 述語の情報を重視する
先の例文、<みんながすっかり車に興味をなくしてしまった今日の日本では、乗る車はどこのメーカーの車でもかまわなくて、人々は一番台数の多く売っているトヨタの車を買う>…なら、「トヨタの車を買う」に目が行くのが自然だろうと思います。
そのとき、「トヨタの車を買う」ということが気になる人なら、「誰が…?」ということを確認するため振り返るかもしれません。そのまま読み進めていっても、あとで重要なポイントだと思うならば、振り返ることがあるかもしれません。
河田聡は、例文を以下に変えたほうがよいと言います。<日本では、みんながすっかり車に興味をなくしてしまった。どこのメーカーの車でも構わない、と考えている。そして、トヨタの車を買う。トヨタが一番多くの台数を売っているからである>。
この例文は、改定前の文よりきちんと読まれるでしょうか。私は否定的です。1つの文を4つに分割したら、主語と述語だけ読むにしても、4倍の手間がかかります。日本語で、より重要な述語を見ると、改定した文の情報量が低下しています。ここが問題です。
文の要素をしぼって簡潔・的確な形にすること、さらに主要な情報量を残すことが大切です。例えば次のように書きます。<車への関心が薄い日本では、自動車メーカーへのこだわりが少ない。そのため一番台数の売れているトヨタ車を買う傾向がある>。
この場合、「こだわりが少ない」「買う傾向がある」に目が行きます。こちらのほうが、読む側の関心を引きやすくなります。日本語の場合、ぱっと目が行くのは、述語のほうです。主語と述語の両方ではありません。そこに気をつける必要があります。