1 一文一文をきちんと読む
少し前から、国語を教えている先生に日本語のバイエルの個別指導をさせていただいております。一文一文をきちんと読んで、主体と述部、焦点、前提(TPO)の確認をしています。これぞという本なら、こういう読み方が勉強になります。
一文一文を確認していくことは、ともすると単調な作業のように映ります。本当にそんなことをやる気があるのか、しばらくやり取りしながら、様子を見ていましたが、どうやら本気です。普通に本を読むなら、こんな読み方はしません[効果的な本の読み方]。
一文一文を丁寧に読むことが、本の読み方、文章の読み方の基礎になります。ただ、それに賛成する方がいても、実際におやりになる人は少数です。いまや贅沢きわまりない本がたくさん手に入ります。それらが読めるなら、独学が可能になります。
ピーター・ドラッカーは、ほとんど大学に行かずに、図書館に通って勉強したそうです。ドラッカーの場合、お父様のまわりにたくさんの教養人が集まってきていましたから、恵まれた環境の中で育っています。早い時期に、独学で十分になったのでしょう。
ドラッカーの作品の翻訳者である上田惇生は、ドラッカーの著作を丁寧に読んで、不明なところをドラッカーに確認しながら翻訳しています。自分以上に著作を理解しているとドラッカーから言われる存在になりました。
こうしたスタイルの原点になったのが、『マネジメント』を丁寧に読んだ経験だろうと思います。読んで気づいた疑問点をドラッカーに伝え、ドラッカーもその読みを認めた結果、『抄訳マネジメント』(現在、エッセンシャル版)が生まれたとのこと。
読み間違いを減らそうとしたら、一文一文を丁寧に読んでいくしかないと思います。翻訳をするように、丁寧に読んでいこうとすると、手間がかかります。こういう手間のかかることをすることが、逆に時間短縮になるのです。
2 本の選択:神は細部に宿る
一文一文を読んでいくと、読みのレベルが変わってきます。安定した読みを基礎にしたならば、著者の言うところを正しく受け止められるだろうと思います。著者の言うことが、自分にとってどれだけの価値があるものか、判断できるはずです。
私たちは、いきなり全文を読むことはできません。どこかの箇所から読み出すしかありません。そのいくつかの部分を読むことによって、その本全体が、どのくらいのレベルなのか予測がつきます。あえて読む必要のある本かどうか、判断できるようになります。
私たちは、全ての本を読むことはできませんし、全部読む必要はありません。自分にとって必要な本を読むしかありません。時間は限られていますから、選択が大切です。読みの基礎訓練をしておくと、読むべき本の選択が容易になります。
「神は細部に宿る」と言います。ささやかな文の中に、大きなヒントが隠されていることはしばしばあります。それを読み取ることが重要になってきます。いつでも読み取れればよいのですが、読み落しがおきます。丁寧に一文一文読むのはそのためです。
だいたい全体の1割、あるいは短い本なら、5ページから10ページ読めば、その本のレベルがある程度わかります。よいと思ったら、その先まで読み進めていき、その先で、さよならになることもあります。
3 本物に出会う
もし速読をしたい方がいらっしゃったら、丁寧に一文一文を読む訓練をなさるべきでしょう。一文一文読むことによって、理解が速くなります。速い理解がなかったら、速読はできません。「速読」と呼ばれるものが、ただの暴走であったなら意味がありません。
一文一文を確実に読んでいくことは、その本が本物かどうかを判断するのに有効な方法です。本という形式で、文字に固定化された思考が提供されていますから、読者はそれを、自分のリズムで、緩急をつけて読んでいくことができます。
著者は、一文一文の主体がどうなっている、述部がどうなっているという風に考えて書いてはいないでしょう。したがって、文の意味をきっちり分析しながら、読み進めていくことは、読者の特権でもあります。それがときどき、あっと思う発見につながります。
小さな発見に過ぎなくても、自分にとっては大切な発見になります。一番大切なことは、こうやって一文ごとに読んでいくと、対象となる本が、本物かどうかわかってくるということです。世の中の評価とは別に、自分なりの評価が出てきます。
本物を探り当てて、それを丁寧に一文一文読んでいったなら、そこから大きく変わってくるのではないでしょうか。上田惇生の『マネジメント』との格闘は、『抄訳マネジメント』を生み、それ以降、ドラッカーの翻訳のほとんどを、上田惇生が行っています。
本物をきちんと読むことが、実力につながるようです。ダイヤモンド職人が、ダイヤモンドの鑑定ができるようになるために、本物のダイヤモンドを見続けるのと同じ原理だろうと思います。