1 論理的な思考プロセスへの疑問
ロジカルシンキングについて、懐疑的だと書きました。この手法は、<状況をもれなくダブりなく分析して手に入れた課題について、どうすれば解決できそうか仮説を考え、それを検証して対応するやり方です>(山田壮夫『<アイデア>の教科書』)。
<論理的・直線的な思考プロセスに大きな影響を与えたのは、かの哲学者ルネ・デカルトです>。<考える対象を小さく切り分け、あらゆることを徹底的に疑うアプローチは客観的で、明快です>と、山田壮夫は評価します。同時に、2つの疑問点を指摘します。
(1)デカルトが言うような正しさには、限界があるという点。
(2)時間軸が欠如しているため、対象が現在でなく、過去であるという点。
(1)の点、パースの指摘通り[「信念の確立法」]、すべてを疑ったら、私達は何も答えられなくなります。デカルトの言う方法的懐疑は、不可能なのです。(2)の点、昨日と今日の自分は同一なのか…とラッセルが問うたように、時間軸は不可欠な概念です。
2 論理的思考とモダンの手法
論理的思考の発想は、別な言い方をすると、モダンの手法(近代合理主義)ともいえます。この手法の限界について、すでにドラッカーが、『変貌する産業社会』の中(1957年刊・『テクノロジストの条件』所収)で、さらに大きな視点から言及しています。
<モダンの世界観とは、17世紀前半のフランスの哲学者デカルトのもの>であり、いまやモダンの時代の<世界観、問題意識、拠り所が、いずれも意味をなさなくなった>と指摘しています。その上で、「未知なるモノをいかにして体系化するか」を問うています。
対象を小さく切り分ける発想の根本には、<全体は部分を知ることによってのみ知りうる>との考えがあります。また、コンセプト間の関係を、<定量化をもって普遍的基準とした>ため、後に<定量化できて、はじめて理解できた>…との考えが出てきました。
3 ロジカルシンキングの有効範囲
ロジカルシンキングの基礎には、モダンの発想があります。定量化できて、誰がやっても正解が得られる範囲内では有効でしょう。しかし、未知なるモノを体系化しようとするとき、例えば、アイデアを実現しようとするとき、役に立たないのです。
モダンのコンセプトだった「AならばBになる」という因果律の発想が、もはや使えません。その代わりになるのは、目的律だ、とドラッカーは指摘します。ここでの目的は、絶対的な存在ではなく、発見されるべき<形態そのものに内在する>目的です。
これは一定の基準を設定して、その達成をもって自己実現と考える発想ではありません。われわれが経験する中で、何かを感じ取り、自己発見をして行くという発想です。目的は初めから与えられたものではなく、見出される存在であると考えられるのです。
4 形態とプロセスの重視
新たな世界観では、部分が全体を作るとの考えが否定され、全体の目的に従って、構成要素(部分)が配置されると考えます。この全体の体系が「形態」です。また、プロセスの存在が必須の要件となります。時間軸は不可欠な概念です。大人は子供に戻りません。
<それらの変化は、プロセスにおける質の変化であって、もとに戻ることはない>、<プロセスにおいては成長、変化、発展が正常であって、それらのないことが不完全、腐敗、死を意味する>のです。こうした世界観が、<世界の現実となった>のです。
ビジネスにおいては、変化が前提となります。当事者は、<形態とプロセス以外は眼中にない>というのが現実です。こうした現実の中で、因果律を使い、範囲を設定してもれなく分析していく手法に対して、どうしても懐疑的にならざるを得ません。