1 価値判断を排除できるか
1970年、オックスフォード大学で講義を行ったR.ハロッドは、価値判断を取り上げました。価値判断をする時に、<それが真か偽かという性質をもっているか否か>を問題として、それがなければ厳密には<判断と呼ぶのは正しくありません>と言いました。
経済学者であるハロッドからしたら、各人の価値判断などなしに真偽を定量的に分析できなくては客観的でない…と言いたかったのでしょう。安心したように、<経済学への価値判断の進入を撃退することは成功しているようです>と言い添えています。
経済学の場合、客観性が命ですから、それを損なうリスクがあるモノは排除すべしということなのでしょう。わたしたちは客観的であろうとするとき、いまだに価値判断・価値評価を排除する傾向を持っています。
2 価値判断は排除できない
ところが経済学者であるミュルダールは、価値判断・価値評価を排除できないと明言しました。かつて価値判断を追放すれば客観的な実証的な研究になると思っていたことを認めた上で、『経済学説における政治的要素』1953年英語版に付した序文で書いています。
すべての科学的仕事には、不可避的に先見的な要素がある。答を与えることができるためにはその前に質問がなされねばならない。質問は、世界におけるわれわれの関心の全面的な表明であり、その底には価値評価がある。
経済学の場合、原則として、経済成長はよいことですし、失業率も低い方がよいのでしょう。どうしても価値判断・価値評価は入り込みます。ただ経済学の場合、価値自体がシンプルです。その点、マネジメントとはアプローチが違っています。
3 ビジネスでは価値の明示が必要
ビジネスの場合、その組織が社会に存続し続けるために、自らの活動の有益性を積極的に示していくことが求められます。反社会的なビジネスならば、社会から排除されなくてはなりません。組織は自らの活動の価値を社会に明示する必要があります。
組織が善とする価値は社会の利益に適っているか、組織は社会からチェックを受けていることになります。組織自身も、ビジネスの目的が社会に受け入れてもらえるものであるかどうかをつねにチェックしていく義務があります。
ビジネスから価値判断を排除しようとすることは、無意味なことです。逆に価値がぶれないように、価値を明確にしておく必要があります。組織としての価値を明確にし、個人の価値判断が許される範囲を明確にする必要があります。
組織の目的にそった上で、個人の自由を発揮することです。両者のバランスが重要なポイントになります。こうした組織の価値判断と個人の判断のバランスが、その組織のカルチャーにもなっています。ビジネス文書からそれが見えてくることもあります。