■タテとヨコの融合再論:青木昌彦の主張の背景

1 ノーベル賞級の学者:青木昌彦

青木昌彦の訃報を聞き、「タテとヨコの融合」について先日書いてみました。いただいたコメントと、いくつかの追悼記事を読むうちに、もう少し書いておきたくなりました。青木は、本当に大切な学者でした。<青木さんは飛び抜けていた>と高橋は言います。

青木さんは、日本経済の比較制度分析で国際的な評価を受けた数少ない日本人経済学者である。青木さんの師匠であるレオニード・ハーヴィッツ氏がノーベル経済学賞を受賞した2007年に、青木さんも同時受賞してもおかしくなかった。(「日本」の解き方:高橋洋一:zakzak)

1986年の論文「企業の水平的情報構造と垂直的情報構造の対比」について伊藤秀史は、<組織における意思決定プロセスの研究><その分野の先駆的研究として高く評価されている>と評価しています(NBオンライン)。

その内容は、<組織の階層間の垂直的な情報のやりとりを通して組織上部が集権的に決定する「垂直的構造」と、組織の部門間の情報のやりとりを通して組織下部が自律的に解決しようとする「水平的構造」を比較分析するもの>(伊藤秀史)でした。

 

2 多様性とリーダーシップ

青木の代表的な1986年論文のエッセンスを一般向けに書いたのが「タテとヨコ」のようです。『移りゆくこの十年 動かぬ視点』に所収されています。これが1991年1月に書かれ、その10年後に「タテとヨコの融合」について、追記がなされました。

伊藤秀史は<青木さんの研究のキーワードのひとつは「多様性」>だと指摘します。タテとヨコの融合が必要な根拠でした。1980年代にマネージャーという語が廃れていきます。組織における意思決定のプロセスの研究は、リーダーシップの研究でもありました。

日本に遅れて変化がやってきました。グローバル化の流れです。こうした点を青木が編集した『システムとしての日本企業』(1994年)の中で、もう一人の編集者であるロナルド・ドーアが書いています。日本には特殊事情があったという重要な指摘でした。

 

3 日本における一体感の侵食

1990年代に入っても、日本は<他の多くの産業社会と比べて個人の平等性を高めていると解すべき部分が数多く見られる>、それなのに東欧の体制が崩壊する原因となった平等性の追求による経済の非効率性が、日本では起こっていない…とドーアは指摘しました。

<日本の現在の平等性は、果たして効率の犠牲のもとに達成されたものであろうか>と、問題提起しています。<おそらくNOである><それはなぜか>。ドーアが<その秘密を握る鍵>として提示したのが「一体感(togetherness)」でした。

日本人は、「日本人であること(Japaneseness)」やこの国のメンバーであるという意識が、依然として自己のアイデンティティの中で重要な位置を占めている。そのため(中略)日本企業の内部においても、この一体感の意識が重んじられるがゆえに、給料の格差が比較的圧縮されているのである。

しかし、<かつてのイギリスでそうであったように、国際化の進展につけて、日本でも間違いなく一体感の侵食が起きる>と指摘します。実際、そうなりました。合議制から、実力のあるリーダーの責任に基づいた指揮命令の形態に転換する必要があります。

 

4 実践者としての青木

「タテとヨコ」で、青木は日本への警鐘を鳴らしたのでしょう。<全く新しい開発をするときには、アメリカ型の専門家システムが強みを発揮する>と書いています。日本で「新しい開発」が必要であると言われていた時代になされた指摘でした。

「タテとヨコ」の融合のためには、プロジェクトの全体像を構築できるリーダーと優秀な現場担当者が必要です。青木はアメリカ型を基本にすえた制度を構想していたように思います。<仕事の仕方は国際基準で、厳しかった>。前出の高橋は書いています。

青木が専門外の『日本の財政改革』を編集した際、著名な財政学者の原稿を<基準に達していないという理由で>没にしました。また<所長をしていた当時の経済産業研究所は、霞が関の中でも異色>で<青木さんのリーダーシップの賜だった>と高橋は言います。

青木は『モジュール化』(2002年発刊)の中で、所長として「組織的モジュール化」の実験をしたかったと語っています。実践者でもありました。<目的を皆で共有>しつつ、<個人の責任とか任務が明確な組織を日本でも目指すべき>と、青木は提言しています。

 

移りゆくこの十年動かぬ視点

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