1 すぐれた臨床医:中井久夫
中井久夫はすぐれたドクターです。『臨床瑣談』の中の「昏睡からのサルヴェージ作業の試み」を読むだけでも、臨床医としてもすぐれていることがわかります。これは、専門の精神科とは別の領域で行った、鮮やかな治療の実践記録です。
中井は翻訳家でもあり、言葉の感覚がきわめて鋭いことでも知られています。『私の日本語雑記』は、中井が日本語に正面から取り組んだ本です。内容豊富で、つぎつぎ刺激を与えてくれる記述に出会えます。
この本の中に、ビジネスと違ったアプローチですが、記述の基準を論じたところがあります。「日本語文を組み立てる」で、<読者に通じる文章に仕立てるため>の方法について、具体的に語っています。これは、文書の標準化のヒントとしても読めます。
2 認知の順番に記述
中井は、竹内照夫『四書五経』を取り上げます。この本は、この分野での際立った入門書として知られています。解説の中で、<論理や文法の上でも記事文一般に取って模範とすべき表現法>としているものに、中井は文章の記述法のモデルを見出しています。
記述の順番に、ある原則を当てはめてみることを、中井は提唱しています。<一般に認知の順序に語順を選ぶことは、書く者の見え方を読む者の目に再現させるに違いない>、この<語り口は臨場感を大いに向上させる>…と言います。
具体例を中井があげています。「何かが見え、次に個数が数えられ、よく見るとある種類の物体で、なおよく見るとある挙動をしている」という語り口です。記述の順番を認知の順序に合わせることで、イメージが伝達しやすくなるという主張です。
3 TPOの順番に記述
中井は、<文章が通じ、会話が滑らかにゆくためには、意味だけでなく、イメージや構図の伝達がなされる必要がある。そうして初めて主題や主張が通じてゆく>と考えます。この考えをさらに進めると、文章にパラグラフを作っていくべきだということになります。
日本語がもっと構造的になっていくように、ということです。<日本語はもっと建築的になりうる可能性を持っていると思う>…と中井も言っています。その基礎として、中井が提唱するのは、認知の順序に記述することを標準とすることでした。
ところがビジネスの場合、すでにこうした標準は出来上がっています。ご存知の通り、「いつ・どこで・どんな場合」というTPOの順番です。ここを押さえた上で、どうしたのか、どうすべきなのか…を示したなら、ビジネスの反復性と一回性が明確になります。
<日本語には、まず主題提示があって、それはたしかにコミュニケーションに役立っているが、その後がルースになる嫌いがある>と、中井は言います。この点、主題提示とともに、TPOの順に記述したならば、記述はルースにならないはずなのです。