1 製造業の問題点
1980年代に日本の大量規格生産方式が力を失っていったとの指摘はしばしばなされます。これに伴って業務の形態に変化が必要となりました。しかし、その変化に適応できない場合も多く、そのため日本の製造業が長期に停滞したとも言われます。
2009年刊の『ムダに喝!』において、山田日登志は、失われた十年、二十年となった<この社会に一喝を与えた>のが、<「トヨタ生産方式」と「カイゼン」>であると評価しています。この本で、<最大の元凶が分業だ>としているのは注目されます。
分業により<機械的に自分の持ち場の作業を進めるだけになって、意欲も低下してしまうところが一番の問題>だというのです。<「自分が担当している業務は一連の会社の仕事の中で、どんな意味や価値があるのか」―こんな視点を持つ>ことの必要性を訴えます。
2 分業による機能低下
分業の問題は、古くからある問題です。『機械と哲学』でP.M.シュルは、機械化に伴う分業化によって、仕事の全体を見渡すことのできる人たちの割合が急減したことを指摘しています。かつての時計職人は構成する部品をすべて知っていたのです。
シュルは、<こうした発展の端緒の目撃者であったアダム・スミスは、それが労働機能を低下させる性格のものであることを見抜いていた>と指摘しています。山田の指摘はまさにこの点を突いています。労働機能の低下とは、具体的にどういうものでしょうか。
<個人は仕事の流れ全体が見えず、他の部門との連携も考えないのでムダが生じやすい。また、自分の仕事の意味を理解しにくいので、創意工夫もなかなか生まれてこない>ということです。この解決策が、一人で多数の工程を処理可能にする<多能工化>でした。
3 付加価値は人につく
工場の場合、生産の管理が必要ですから、管理の基準が問題となります。時間や量を尺度として、<早いか遅いか、良いか悪いか>という評価になりそうです。その前提となるのが、<“人を管理する”という発想はまちがっている>ということでしょう。
人の管理は、<人の作業を標準化>して<規制する>ことになります。しかし、<付加価値はモノにつくのではなく、人につく>という点が重要です。<自分の意志で改善に知恵を重ね>て、<多能工としての能力を発揮>することで、付加価値が高まります。
以上のように、作業の標準化では高度な製造能力を維持できません。また、高度な製造能力を基礎にして、設計やデザインと緊密な関係を構築することが求められます。設計やデザインの分野では、人の能力を発揮する環境がより一層重要になることでしょう。