■梅棹忠夫の「情報産業論」から学ぶ:『情報の文明学』を参考に

 

1 1962年の「情報産業論」

梅棹忠夫は1962年発表の<「情報産業論」という論文において、私は、農業の時代から工業の時代へ、そしてさらに情報産業の時代へという、文明史的変化について論じた>と振り返っています(1988年「情報の文明学」、2論文ともに『情報の文明学』所収)。

第一次産業(農林水産業)、第二次産業(鉱工業)、第三次産業(商業、運輸業、サービス業)という<C・G・クラークによる三分類がしばしばもちいられる>が、しかし<工業の時代とは、じつは商品生産の時代>にすぎないので、どうもおかしいと言うのです。

食べることを産業化し、次に<人間の労働の産業化>を行い、その次に<人間の全活動のなかで「精神」こそは><最も組織化の後れている部分>であるから、<近代的工業生産のゆきつくはてに、精神産業が展開>していき、情報産業になると捉えています。

 

2 粗雑な文明の生産方式

梅棹の「情報産業論」は後になって、先見性が評価されました。いまでもこのフレームは貴重です。<ビットとよばれる情報の単位>で情報量の測定は可能だが、量を見ても意味がないのだと指摘します。情報産業化は工業化の問題点から起きたともいえます。

近代工業は<生産方式としてはきわめて粗雑のもの>であって、<その大部分はサイバネティックスでいうところのフィード・バックの機構さえもたない>ものでした。<大量生産、大量販売、大量消費という粗雑なやり方の文明>だったのです。

それが<文明の質が細かく精密になってきた>ため、<消費のほうの欲求も個別化するし、生産のほうもそれにあわさなければならない>…という多様性の時代になりました。<最低の機能を充足すればよいというかんがえ>が否定されたというべきでしょう。

 

3 大部分が無意味情報

情報には、<軍事情報も産業情報も、その情報を得たものに大きな利益をもたらす>という面があります。他方で<そのような利益を>、<もたらさないような情報も存在>していて、現実の世界の情報の<大部分が、この種の無意味情報である>のです。

<自然もまた情報であるからこそ、観光という情報産業が成立する>のであり、情報を送り手と受け手に分類するのではなく、<情報はあまねく存在する。世界そのものが情報である>と考えるしかないようです。従来型の目的の想定だけではうまく行きません。

<品質がよければ見かけはどうでもいい><デザインはそのうわべをかざる見せかけにすぎない>という発想は否定され、<その製品に付加された情報的価値こそが品質>と受け取られています。腕時計はファッションの道具という面が強くなりました。

 

4 機能や構造の再定義が必要

こういう時代には<生物体における非合目的性>、つまり<生物体は、すべての部分が目的論的に解釈できるものではない>という発想が参考になるかもしれません。<明確な目的概念でその存在を説明することはむつしい>ともいえます。

時計のファッション性を、目的論的な発想で説明することは難しそうです。時計としての<構造をもち機能をもっているというだけ>では十分ではなくて、従来考えられていた目的以外のことも可能になるかもしれません。それがファッション性でした。

目的以外の<可能性が確立されたとき、種々雑多、ありとあらゆる情報がそれにのりはじめ>るのです。つまり、機能や構造をもう一度再定義してみることが重要なのでしょう。再定義の結果、新たな付加価値をつける可能性が見えてくるということになりそうです。

 

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