■古典の読み方:『源氏物語』の会話に注目して読む

 

1 計算しつくした『源氏』の文章

『源氏物語』の文章を見ると、長い文と中くらいの文のなかに、現代文の表記にすると<10字以下の短文が入り込んで、文章をきゅっと引き締め>ています。『日本語の古典』で山口仲美が指摘していることです。<計算しつくしたような文章だなあ>と思います。

文章のリズムが文の長さによって制御されているのです。これは古典に限らず、文章を書くときの原則にもなります。同じくらいの長さの文を並べすぎると、文が単調になります。文末の変化とともに、長さの変化が、おもに文章のリズムを形成します。

さらに<喩えの凝った作り上げ方と用い方>も卓越しています。紫の上を「春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」と喩えます。こうした味わいのある表現を丁寧に読んでいくのは、長さからしても大変で目がくらむような気もします。

 

2 古典を「会話」から読む

完成度の高い物語を丁寧に読もうとする場合、ゆっくりしたペースで進むしかないのかもしれません。かつて現代語訳で源氏を読んだはずですが、読み飛ばしばかりでした。どういう点を意識して読んでいけばよいのか、指針があればありがたいことです。

山口は『恋のかけひき』(1991年刊)で、<古典を「会話」から読むと、にわかに現代性を帯びて生き生きと感じられる>ことに<気づいた>とのこと。<今から二年前のこと>ということですから1989年でしょうか。先の『日本語の古典』の21年前になります。

<男と女の会話から読んでみる方法>が<『源氏物語』を、現代に生き返らせるひとつの方法>だと考え、<「会話」にひたすら注目してみると><実に無駄がない>だけでなく、<今までの解釈を変えたほうが自然であるといった部分も出てきたりしました>。

 

3 言葉の感覚を磨くことの大切さ

「夕顔」の帖の読みはすばらしいものです。源氏は乳母の家に見舞いに寄り、隣家に咲いた白い花に気づきます。隣家の女の子が、花を扇にのせて差しだすと、扇に女の歌が書かれています。当時、女から男に歌を詠みかけることは考えられないことでした。

源氏はなれなれしいと感じます。夕顔があつかましい女性であるならば、二人が顔合わせをしたときの歌も、通説の解釈がしっくりきます。下の句は<たそがれどきのそら目なりけり>です。夕暮れ時の見間違いでした、そんなに美男でなかったわ…となります。

頼りなさを恥ずかしそうに訴えていた女性が、男をいなすような発言をするはずないと山口は考えました。<通りがかりの身分のありそうな男が、かつての夫かもしれないという可能性が少しでもあれば、女は確かめずにおれずに歌を贈るであろう>と解釈します。

下の句は<夕暮れ時の見間違いでした。頭中将様ではなかったのですね>となります。あつかましい女性などではありません。「夕顔」の帖全体が違ったものになります。こういう読みをみせられると、ベネットがいう言葉の感覚を磨くことの大切さを感じます。

 

 

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