1 優れた翻訳の特徴
専門家でも判らなかったり間違うのは当然ですが、通説を覆すすぐれた解釈が示されると、なんとなくうれしくなります。やるべきことが無限にあるという気になります。先日ふれた山口仲美の『源氏物語』「夕顔」の解釈は通説よりも合理的だと思います。
注釈書や谷崎などの訳を少しチェックしました。そのとき異色に感じたのがウェイリー訳でした。誤訳があるそうですが、名訳です。日本語訳で読んでいます。平川祐弘は『アーサー・ウェイリー』で<二十世紀の最高の東洋学者>だとウェイリーを評価します。
平川はウェイリー訳のような優れた翻訳の特徴を、<その翻訳が現れた時代の訳者の母語の文体の好個の標本として見られる言語芸術作品である>ことと指摘します。日本なら<近代日本語の名文選の中に私は森鴎外の翻訳がはいると信じている>とのこと。
2 発音主体の仮名遣い
ただ鴎外を読もうとしても、現代人には難しいはずです。山口謡司『日本語を作った男』の中に、上田万年が<ふつうに話して、できるだけ多くの日本人がわかる日本語を><発音主体の「新仮名遣い」>で作ろうとしたとき、抵抗勢力としての鴎外が登場します。
「おうがい」を「あうぐわい」と書くのをよしとする保守的立場をとりました。その後、新仮名遣いが採用され、鴎外の文体が古びていく一方で<万年が思い描いた「言文一致」は>、万年亡き後の<1960年頃になってやっと本当の姿を見せた>と山口は書きます。
発音主体の仮名遣いは合理的だったらしく定着して、新しい文体を生みました。万年には日本語あるいは日本への思いがありました。恩師のチェンバレンと考え方が違います。山口は二人の<齟齬>に言及し<不思議>だとしていますが、齟齬は当然のことでした。
平川は言います。<大英帝国の名門の人として十九世紀の中葉に生まれたチェンバレンは、西洋文明の至上を確信し、その見地から日本の物事を裁断した>。万年との違いです。一方、ウェイリーは<チェンバレンの見解を次々と手厳しく否定した>のでした。
3 普通の小説として読めるウェイリー源氏
ウェイリーの源氏訳は、日本語に再翻訳されたため、鴎外の文章のような文体の問題は生じていません。ウェイリー訳が出てすぐに、<この英訳を新たに日本文に翻訳したら、世界的名小説として、多くの愛読者を得るかも知れない>と正宗白鳥が書いたそうです。
平川は、<正宗は英語の読書力が抜群の人で><「はじめて物語の筋道がよく分かり、作中の男女の行動や心理も理解され、叙事も描写も鮮明になった」。この正宗の感触は実は私自身がウェイリー訳『源氏物語』を読んだときの感触そのままである>と記します。
幸せなことに20世紀はじめに生き返った源氏が、21世紀の日本語の文章で読めます。その後、サイデンステッカーの英訳も出版されましたが、ウェイリー訳が圧倒しているとの評価が定着しています。たしかにウェイリーのものは普通の小説として読めます。