1 マニュアルとしての『風姿花伝』
土屋惠一郎は『「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝』で、<世阿弥は、能楽師として生きるためのマニュアルとして『風姿花伝』を書いたのです>と言います。ここにいうマニュアルとは、作業手順ではなくて、生きるための指針ということになります。
能をめぐる環境が大きく変化する時代に世阿弥は生きています。第一に、年功序列が崩れて人気のある能楽師が活躍するようになりました。第二に、パトロンが神社などから将軍や貴族たちに変わり、彼らに受け入れられ大事にされることが必要になってきました。
22歳で一座のリーダーとなった世阿弥は、<自分たちの芸がどういうものであるかということを、のちの世代に伝えていこうと決意>したのです。それは<のちの世代も踏襲できるよう、きちんとシステムに落とし込むということを行った>と土屋は言います。
2 能役者となるためのシステム
世阿弥は「花」という言葉を、<能にとってもっとも大切なもの>の象徴として使っています。『風姿花伝』に「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり」とあります。新しく面白いもの、珍しいものをつくり出していくことが重要になります。
そのため<能役者としての稽古の積み方や年の重ね方が、一つのシステムとして極めて具体的に書かれて>いるのです。背景には<「才能はありのままに任せればよいのではない。才能はつくられるものだ」という世阿弥の信念を見ます>と土屋は語ります。
<正しく稽古すれば才能は開花する>ということです。これが<能役者となるためのシステム>といえます。ここで語られるのは、能の舞い方の詳細ではなく能役者のあるべき姿とそうなるための心構え、指針でした。ずいぶん現代的な「マニュアル」です。
3 能の問題というより人生の問題
世阿弥は「離見の見(リケンノケン)」ということを言っています。<見所(観客席)から見る自分の姿を常に意識せよ>という意味です。ポイントは「目前心後(モクゼンシンゴ)」にあると土屋は指摘します。<目は前を見ているが、心は後ろにおいて置け>ということです。
自分は前に出て行くのだけれど、客席との間にはある関係の力が働いていて、自分が後ろに引っ張られたり、離れたりする。そういうすべての関係の中で自分がそこに立っていると意識しなさいということです。そういう意味では、「自分のリズムだけでやるな」ということにもつながるかもしれません。見所同心(ケンショドウシン)、客席と一体になるように考えてやらなければいけない。自分だけで勝手に盛り上がってもだめだということです。
これは<人生の問題でもあったと思います><「離見」こそ、本来私たちが人間や社会に対して持つべきものなのではないか>と土屋は言います。一番好きな言葉は「住する所なきを、まず花と知るべし」(一つの場所に安住しないことが大事である)とのこと。
世阿弥が『風姿花伝』を書いた理由は、<その場かぎりの評価をとろうとやっきになっている>当時の能役者たちへの嘆きにありました。この書は<自分の子供や身内>向けのものであり、<明治時代に入ってはじめて多くの人の目に触れるもの>になりました。
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