1 ドラッカー・マネジメントの原点
昨年からの宿題が残っていました。ドラッカーと「幸福」の関係が気になっています。翻訳者の上田惇生は、ドラッカー・マネジメントの原点が「人間の幸せ」にあると語りました。上田流の説明はすっと心に響きます。これが一人歩きしている感があるのです。
『究極のドラッカー』でも國貞克則は<ドラッカーの最大の興味は「人間の幸せ」にあると聞かされ、私は頭を金づちで殴られたような衝撃を受けました>と記します。中でもマネジメントの正統性の根拠を語った『マネジメント』の言葉が決定的だと言うのです。
國貞は「”to make human strength productive”(人の強みを生産的なものにすること)」を、<一人ひとりの人間を幸せにすることができなければマネジメントの存在意義はないのだと言っている>と解釈します。こういう解釈が時々なされるようです。
2 『幸福』の面倒は見ない
ドラッカーは幸せについて、正面から記述していないと思います。しかし多様性を重んじるドラッカーが、人間を幸せにすることをマネジメントの存在意義であるとは言いそうにありません。日本的な解釈だと思います。幸せの問題は勝手だろう…と言うでしょう。
実際『離陸の発想』で金山宣夫と対談したドラッカーは、<人間が精神的なものを求める場合に、それを社会からではなく、基本的には自分自身に期待すべきである。社会に過大な期待をいだくことは、正しい感受性のあり方とはいえない>と語っています。
マネジメントは人間の幸福には無関係なのでしょうか…と金山が言うのに対し、<『幸福』というと?>という答え方をします。それが内面的なものであることを確認すると、<自分自身に求めるのです><『幸福』の面倒は見ない>と答えています。
3 正統性の根拠は「成果」
ドラッカーの『マネジメント』の巻頭に、<まえがき│専制に代わるもの>とあり、<本書は権利についてではなく責任について論じている>と書いています。人間個人の精神的なものについて、責任を自分に求めるのは当然の前提だと考えているのです。
ジョン・ラボックなども、『自分を考える』(The Pleasures of Life)で、人は幸せになる権利を言うけれども、幸せになる義務があるのだ…という言い方をしています。マネジメントに幸せを期待することは、<正しい感受性のあり方とはいえない>のです。
人間の多様な能力を伸ばすことによって、個人と組織がよい関係を結べるように、両者が互いに責任を持っています。そのときの両者を結びつけるのは「成果」になるでしょう。専制ではなく自由な体制であるならば、何を成果とするか…は多様になります。
個人は自分の信条と合う組織を選ぶ責任を担っています。組織が社会に存立するには、社会を発展させることが必要です。組織は成果をあげることが求められます。ドラッカー・マネジメントの正統性の根拠は「幸せ」ではなく、「成果」だということになります。