1 変な文章を書かないことが最低の条件
操作マニュアル講座の準備のため、操作マニュアルのサンプルをいくつか見てみました。中には相当いい加減に書いたと思われるものがあります。講義で、出来のよくないマニュアルのサンプルを見てもらって、改善点を出していただく時間を取っています。
マニュアルの文章がおかしい場合、たいていその他のところでもおかしな点が見つかります。文章がポイントです。図の多い操作マニュアルの場合、図を隠して文章だけを読んでみてください…とお話しします。文章だけでかなりのことが説明できるものです。
いうまでもなく文書の基礎は記述です。名文である必要はありませんが、変な文章を書かないことが最低の条件です。残念ながらおかしな文章が増えてきました。もう一度、基礎訓練をする必要がありそうです。メッセージが大切だという主張が強すぎます。
2 書くことでメッセージが補強される
文章を書くときに、メッセージが重要だというのはその通りでしょう。文章を書くのに先立って、何を書くかのイメージあるいはメッセージはなくてはならない存在です。それをもとに、文章の構成をしていき、構成ができたら、文章を書いていくことになります。
ところが実際のところ、文章を書いていくことができない人が多いのです。さらに困ったことがあります。適切な記述ができない人は、メッセージ自体が貧弱なのです。展開するほどの内容がないことがしばしばあります。何でこんなことになるのでしょうか。
そもそも最初のイメージやメッセージはいきなり完成形になっているわけではありません。書きながらメッセージがより明確になり、確たるものになっていきます。最初の漠然としたものがだんだ補強されて、具体的なものになっていくのが普通でしょう。
3 思考を書きとる記述能力が必要
論理的な思考を鍛えるなら、文を書いて鍛えるしかありません。たしかにメッセージは大切ですが、メッセージなりイメージなりを形成するには、思いつきを結晶化させていく必要があります。そのとき、思いつきをさらっと書けることが何よりの基礎です。
書かれたものがあるならば、思考が見える形になっていますから、それを見てどうしたらよいのか、具体的に考えていくことができます。そこが出発点になります。簡潔で的確な文章が書けることは、メッセージやイメージを形成する基礎になるということです。
文章が書けるといっても、私が言うのは文法レベルの話です。一般の人が読んで意味が分かる文章を書くということにすぎません。さらっと書いて行けたなら、思考が自由になります。あるいは思考に文章が追いつくということなのかもしれません。
山崎正和が『日本語の21世紀のために』で、<思考の速度と書く速度が一致したのはワープロが出てきてからなんです>と語っているのは注目に値します。思考は待ってくれません。どんどん先に進みます。思考をただちに記述していく能力が必要不可欠です。