1 述語が一部省略される場合
日本語の文構造がどういうものなのかを説明するときに、問題になる例文がいくつかあります。たとえば「こんにゃく文」と呼ばれるものです。「こんにゃくは太りません」という例文には主語があるでしょうか。主語があるとしたら何であるかが問題になります。
主語は述語と対応関係を形成します。述語の主人公が主語です。主語が「こんにゃく(は)」で述語が「太りません」では、文の意味が[太らないとされる当事者がこんにゃく]ということになってしまいます。例文の文構造を、どう考えるべきでしょうか。
まず述語の役割を考えてみましょう。述語は文末に置かれます。原則として省略されることはありません。したがって文を見極めるときに、述語を中核にすえて見ていくことが有効な方法だと言えます。ところが例外として述語の一部が省略されることがあります。
2 こんにゃく文の構造
たとえば「明日は運動会です」という例文の主語は、「明日(は)」なのでしょうか。この例文もこんにゃく文と同じ構造だと思います。ともに「説明」の文型です。「誰はどんな人です」とか「何はどんなモノ・コトです」という文のパターンになります。
本来の文は「明日は運動会の日です」となるはずです。「の日」がなくても伝わるので述語の一部を省略したのでしょう。主語は「明日は」で、述語は「運動会の日です」となります。こんにゃく文も同じです。「こんにゃくは太らない食品です」となります。
「こんにゃく」というのは「太らない食品である」…という説明の文です。説明の文の場合、くどくなるのを避けて「…の日」「食品です」などの属性が省略されることがあります。説明の文型以外では、述語の一部省略というのはほとんど見られないものです。
3 うなぎ文の構造
うなぎ文と呼ばれる「私はウナギだ」も、よく問題になる例文です。同じ論理で考えればよいことになります。述語は原則として原形のままです。省略されたり変形されることはありません。説明の文で、人やモノ・コトの属性が省略されるのが例外です。
この例文も説明の文です。「ウナギの…だ」という属性の接続は考えにくく、述語は「ウナギだ」でしょう。意味内容から主語は人でなく「何」になります。主語が一部省略された形です。「私(が食べたいの)はウナギだ」か「私(がほしいの)はウナギだ」でしょう。
日本語の場合、述語が文末に置かれます。語句を束ね、文を終える役割を持っています。「母がスーパーでお米を買った」なら[母が買った、スーパーで買った、お米を買った]と「買った」が語句を束ねています。述語のあとに句点(。)がついて文が終わります。
日本語では述語が文の要になりますから、やたらに変化してもらっては困ります。例外は説明の文の属性です。くどさを避けるために述語の一部が省略されることがあります。こうした原則と例外から、こんにゃく文やうなぎ文の文構造を考えるべきだと思います。