1 現象学を提唱したフッサール
フッサールという名前をご存知でしょうか。現象学を提唱した人です。木田元は『闇屋になりそこねた哲学者』で現象学を一筆書きにしています(12章「現象学とは何か」)。フッサールはまず数学を勉強し、次に心理学を勉強しました。しかししっくりきません。
フッサールが心理学の勉強をはじめた19世紀末に、心理学は[袋小路に入ったような感じになります]。しかし[どこに欠陥があるのか、彼にもなかなか見極めがつかなかったようです]。その解明から、現象学が生まれました。
フッサールが学んだ当時の心理学は[近代物理科学から学んだ要素還元主義を基本的な方法]にしていました。そこに[根本的な間違いがあるものだから、自分のやりたい仕事がうまく行かないのだと考えて、フッサールは心理学の革新を企てるのです]。
当時の心理学では[どんな複雑な心理現象も単純な要素に還元されうると考えます。その要素が<感覚>です。感覚は物理的な刺激によってひきおこされます。ある波長の光は必ず赤いという感覚をひきおこします]。ここから心理現象を考えていくのです。
ある物理的な刺激が特定の感覚を引き起こすなら[刺激と感覚との恒常的な対応関係]が成立します。[心理現象を客観的な物理的世界の中に位置づけ]ようという考えです。視覚や聴覚・触覚などの[感覚研究の分野では大きな成果を上げることができました]。
しかし[あるまとまった知覚を理解しようとして、それを要素的な感覚に分解してみてもうまく行きません]。[感覚を寄せ集めても]知覚の[特有のまとまり]はわかりません。[そのまとまり方は要素の総和からは出てきません]。
2 欠陥のある方法論:要素還元主義
要素還元主義の発想では[どんな複雑な現象でも単純な要素に還元し、そこから元の現象を復元できれば、その現象が理解されたと考えます。その方法を人間諸現象にも適用しようとした]のです。こうした発想が適用できるのは一部の領域だけです。
[フランス革命とは何かを知るには、1789年の7月14日にパリ市民一人一人が何をしていたかを確定すればよい]はずはありません。[大きなうねりのようなものが先にあって、市民一人一人はそれに動かされていたのかもしれない]のです。
▼(フッサールは)当時の心理学のもつ欠陥は心理学だけのものではなくて、社会学、歴史学、言語学など、十九世紀後半に科学として自立した人間諸科学すべてに共通する欠陥だと気づきました。そこで、人間諸科学一般に通ずる知的革新の運動として、<現象学>を構想するようになったのです。
人間諸科学は[近代物理化学から借用した要素還元主義と因果的思考という方法論に起因]しています。前提が違うのです。[われわれが認識しようがしまいが、客観的世界がそれ自体で厳として存在するとみなす想定]によっています。
デカルトは方法的懐疑を提唱しました。疑わしきものを排除すれば、皆が同じ客観的な結論に達すると考えました。[その客観的世界では現象は個々の要素に還元でき、要素相互間に確固とした因果関係が存立していると考えられて]いました。
3 方法論的改革の企て
フッサールは近代科学の発想の基礎のところに欠陥があることに気がつきます。客観的な世界があるのだという[暗黙の想定]を否定するのです。そして[自分が実際に経験している意識体験だけに基づいて考えていく]方法をとります。逆から考えるのです。
▼自分の直接の意識体験から客観的世界などという観念がどのようにして形成されてきたのか、逆に見ていこうとします。フッサールはこのように逆転されたものの考え方を<現象学>と呼びます。
フッサールがこう考えた頃、[同時多発的に、様々な領域で同じような考え方が出てきたのです]。例えばゲシュタルト心理学は、[われわれの知覚は感覚の総和ではなく、まとまった形態(ゲシュタルト)だという考え方です。要素還元主義は完全に清算されます]。
一音一音を音符に還元しても音楽はわかりません。全体でその音楽が成立します。歴史学、社会学、言語学でも[方法論的改革の企てが同時多発的に進行]します。その中でフッサールは[これからやろうとしていることのプログラム]を残しました。
プログラムの展開が必要です。[フッサールの初発的発想を最も忠実に受け継いだのが、マックス・シェーラー]でした。それが[メルロ=ポンティに受け継がれ、一番生産的なかたちをとったのだと思います]。様々な学問体系が変革されることになりました。
☆この項つづきます。(⇒「その2」)