■谷崎潤一郎『文章読本』:文法を否定的に扱ったことの効果 その2

1 直感で文章を書くしかなかった時代

谷崎は1934年刊行の『文章読本』で、文章を書くときに文法に囚われないようにすること、代わりに感覚を研くことを提言しました。その結果、谷崎の文章読本ではビジネス文をはじめとした客観性の高い論理的な文章について語ることができませんでした。

谷崎『文章読本』において、ビジネス文も学術的な文も対象外とされました。1977年の丸谷才一『文章読本』もこの延長線上に位置しています。ビジネス文を書こうとする人にとって、文章読本は役に立ちません。作家がビジネス文について語る必要もないのです。

文章読本を書いた作家は文を直感で書いています。これは日本語が未発達だったからとも言えます。未発達とは文を構成するルールが確立していないということです。こうした段階にあるとき、直感で文章を書くしかありません。これは日本語に限らない現象でした。

日本語の未発達を、谷崎は自覚していました。『文章読本』に[語彙が貧弱で構造が不完全な国語]と書いています。その24年後の1958年に書いた「氣になること」という文章では、文法の必要性を前提にしながら、日本語の文章構造を問題にしていました。

⇒ここまでのところは[その1]のご参照を。

 

2 シェークスピアの時代の英語

作家が文章を直感で書いていたのは、イギリスでも同じだったようです。シェークスピアの英語は[現代文法を物指しにして見れば破格だらけである]と『英語の歴史』(1983年刊)で渡部昇一は指摘しています。そして日本語の歴史との類似性にも言及しています。

▼作家を規制する文法規範は、文法書にある規則でなくて直感であった。作家は自由に感じていたのである。溢れるほどの活力と、感じられないほど弱い文法の制約――これがエリザベス朝英語の特質である。この英語の発達段階を見ると、現代の日本語は Shakespeare の頃の英語に当たるのではないかという印象を受けることがないでもない。 『英語の歴史』p.252

豊かな日本語の資産を使って、谷崎は感覚を研いて文章を書くよう主張しました。しかし谷崎は文法を無視していたわけではありません。文章読本で[日本語には明確な文法がありません]と書きました。まだ使えない日本語の文法に囚われるなということです。

シェークスピアは1564年に生まれたとされています。そして1585年頃から[英語は豊かで、洗練されて、優雅(copious, refined, elegant)であって、その点ヨーロッパのいずれの言葉にも劣らないという自信]を持ち始めたようだと『英語の歴史』にあります。

しかしシェークスピアの時代には、まだ英語の文法は確立されていません。[中世末までの文法教育はラテン語中心で、土着語は文法教育や文法研究の対象になっていなかった]ということです。英語を記述する綴字法が確立したのが17世紀初頭のことでした。

日本語の場合も谷崎の言う通り、まだ文法が確立されていません。そういう時代には、文章を書くときに直感で書くことになります。感覚がルールですから、感覚を研くことが必要だということです。こういう状況下では、学術論文やビジネス文は書けません。

 

3 国語に対するプライド

自国の国語に対するプライドが生まれ、その後、文法の整備が行われ、その頃になると文章が自由に書けるようになってくるという歴史を渡部昇一は指摘します。英語の場合で言えば、自信を持ち始めたシェークスピアの時代からずいぶん経った18世紀のことです。

▼いつ頃イギリス人の国語に対するプライドが本当に出てきたのかを、割と綿密に調べてみると、ウォルポールの二十一年間――1721年から1742年――の間と言ってよいことが分かる。つまりこの二十年ほどの間に国語に対するイギリス人の感じ方が、つまり国語意識がすっかり変わった。 『アングロサクソンと日本人』 p.160

「イギリス人が英語に自信を持った時代」

1762年にはロバート・ラウスの英文法書が出版され、[なかなか良く売れた]。さらに[リンドレイ・マレーという人が『英文法』という本を書くや否や、これが一世を風靡]したとのこと(p.176)。直感で書く時代が終わったのです。

日本語への自然なプライドが生まれたのはいつ頃でしょうか。渡部は『アングロサクソンと日本人』でワープロが普及した時期に注目しています。1980年代半ばのことでした。日本語がキーボード入力できるようになって、劣等感を持つ必要がなくなったのです。

(この項続きます。⇒その3

 

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