1 加速度的に仕事を増やした谷沢永一
少し前に『論語』を読もうと思いたって、どう読んでいこうか、あれこれ考えてみたことがありました。私は宮崎市定の『論語の新研究』を読んで『論語』が面白いと思いました。高校時代のことです。本当にわかったはずはありません。いまもそうです。
宮崎の『新研究』は学者の凄さを、よくわからないながらも感じさせてくれました。宮崎市定という学者の存在を知ったのは、桑原武夫を通してでしたが、『新研究』を推奨していたのは谷沢永一です。中村幸彦も伊藤仁斎『童子問』も谷沢を通じて知りました。
かつての谷沢永一は、知る人ぞ知るといった地味な学者という風でしたが、『古典の読み方』以降、加速度的に仕事を増やしていき、たくさんの本を出版しました。しかし、それらのうち何冊が今後残るのか、不安になります。仕事をしすぎたのではないでしょうか。
私たちは仕事の仕方、勉強の仕方を、仕事のできるビジネス人や経営者、あるいは優れた学者の姿から学びます。創造力を発揮する場合、学者の勉強の仕方は参考になるはずです。谷沢永一の凄味から学んできたつもりですが、その後の低迷も参考になります。
2 残念な『日本人の論語』
『日本人の論語(上・下)』という『童子問』の現代語訳と解説をつけた谷沢の本が、2002年に出版されました。『童子問』の全訳がなかったうえ、伊藤仁斎-中村幸彦-谷沢永一という系譜から、大いに期待したのを覚えています。そして、がっかりしました。
谷沢は中村幸彦を高く評価し尊敬して、関西大学に招くために大きな役割を果たしています。『中村幸彦著述集』の出版にもかかわっていたはずです。中村幸彦の「伊藤仁斎の思想」を谷沢は従来から評価していました。『日本人の論語』でも言及しています。
しかし、あらためて「伊藤仁斎の思想」を読むことなく、何となく記憶のままに仕事を進めた様子です。仕事を多く抱えすぎたのでしょう。この講演録を『中村幸彦著述集9』所収としていますが、正しくは11巻です。こんな間違いをする人ではありませんでした。
自分を書誌学者と規定するだけに、単純ミスはあまりなかったはずですが、『日本の名著13 伊藤仁斎』所収の『童子問』について、訳者未詳と記しています。貝塚茂樹の解説に[本書で伊藤道治氏による上巻の訳を収めている]とあるのに、どうしたのでしょう。
3 親友開高健の警告
中村は「伊藤仁斎の思想」で、仁斎のいう「祖述」の概念が[仁斎の思想については最も大事なことの一つ]だと評価しています。この「祖述」について述べられているのは、『童子問』の最後です。下巻が全部で53章あるうちの、51章で論じています。
仁斎の代表作である『童子問』にある、仁斎の思想の中でも最重要な部分が『日本人の論語』の中にはありません。上巻1章から下巻22章までを訳し、残りの31章を[仁斎の思想がこれまでの各章を通じて全面的に言い尽くされている]からと、省略したのです。
谷沢の場合、読みと評価の確かさで圧倒してきました。その文章は、本来の饒舌さを簡潔な表現に圧縮するフィルターをかけることによって、豊饒さを生んできました。ですから大量の仕事が来ても、生の饒舌な文章で行けば、いくらでも本は書けたのでしょう。
親友だった開高健が、1980年の谷沢のサントリー学芸賞受賞の評を、以下の文章で締めくくりました。[昨今この著者はハズミがつきすぎてあちらこちらに安易に書きすぎるとの声も、審査の席のあちらこちらで聞かれた。民の声は神の声。好漢、自重されよ]。
圧倒的な能力があっても、仕事を厳しく選ばないと、成果が上がらないということでしょう。たくさんの仕事を抱えて一生懸命それらをこなしていると、仕事の質に気がつきにくくなるのかもしれません。学者でもビジネス人でも、この点は変わらないと思います。