1 圧倒的な上田惇生の訳文
上田惇生先生がお亡くなりになったことをお聞きました。体調がすぐれないことをうわさに聞いていましたので、ここ数年、新しいお仕事の話やいままでのお仕事についてやり取りするのを控えていました。ドラッカーに関する一番の専門家というべき人でした。
上田はドラッカーの主要な著作のほとんどを翻訳しました。自然な日本語で、いい気分で読めます。翻訳にまつわるあれこれの指摘はありますし、たしかに妙な感じのところもあります。しかしそんなことはどうでもよい小さなことでした。圧倒的な訳文です。
ドラッカーの著作は、これからも読まれることでしょう。それだけの価値があります。定番といってよい日本語訳を残してくれた上田に感謝するばかりです。もしもう一度お話することがあったとしても、やはりドラッカーの話以外にないだろうと思います。
2 「integrity」と「真摯」
少し前に、integrity という用語について書いたところ、この用語に反応して多くの意見が出されました。重要な概念ですが、谷島宣之は『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国』で「integrity」を[翻訳不能と思われる英単語]としています。
上田は「integrity」に「真摯」という訳語を当てました。かなり思い切って絞り込んだ訳語だと思います。二つの語句にニュアンスの違いを感じた人が多いはずです。では、もっと良い訳語があるでしょうか。そんなに簡単に見つかりそうにありません。
ドラッカーは『現代の経営』で「integrity」の[定義が難しい](名著集上:p.218)と記します。対象となるのは[人間としての真摯さ](下:p.221)です。[商人と顧客、自由業者とその顧客の間に必要とされているのは、仕事上の真摯さにすぎ]ません。
[経営管理者にとって決定的に重要なものは、教育やスキルではない。それは真摯さである](下:p.262)というときの「integrity」は狭義の概念である[人間としての真摯さ]のことです。[能力や態度とさえ関わりがない]行動規範(上:p.201)にあたります。
3 人を導く倫理性の概念
『現代の経営』にドラッカー自身のいう「integrity」のヒントがあります。[経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い](下:p.221)ので、[ビジョン、勇気、責任、真摯さをもって人を導く](下:p.262)ことが求められます。
[人の強み][人のできること]に焦点を当て、[現実的で][何が正しいか]に関心をもち、[自らの仕事に高い基準を定め](p.219)る、[多くの人たちを育成する人][尊敬を得ている人][プロの能力を要求する人][何が正しいかを考える]人(下:p.221)の行動規範です。
[人間としての真摯さ]の概念はドラッカー独自のものなのでしょう。その叩き台になったらしき概念が「プロテスタントの倫理」です。全てが神の思し召しであり、同時に「救済を予定された人は、そのように振る舞うであろう」とカルヴァンは言ったのです。
▼イスラム教と違って、キリスト教では何が正しく何が正しくないか一切言っていません。しかも正しいことをしたから神が救うとも言っていない。その点はイスラム教と全然違う。けれども神が救うと予定した人は何が正しいことかを教えられなくても自分でわかるはずであって、絶対にそれを行うはずであるという気持ちになってしまうのです。 小室直樹『論理の方法』p.221
[ひとつひとつの善行、修業が問題ではない。人間全体としての行動の総合が問題](p.219)です。人間全体としてひたむきに正しいことをしようとすることがこの概念ですが、ドラッカーの場合、これを企業や社会全体に拡げるとの修正を加えているようです。
『現代の経営』の最後で、資本主義は[倫理性を欠くことについて攻撃されている]と指摘し、[日常の行動において]「公共の利益が企業の利益となるようマネジメントせよ」という[新しい思想を実現していくこと](下:279-280)に期待をかけています。
こんな話を上田先生にしたら、たとえプロテスタントの倫理の話は知らなくても、「integrity」の訳語は「真摯」が正しいと主張するはずです。辞書的な意味でなく、ドラッカーの使っている「integrity」の意味にふさわしい訳語を探しあてたのです。