1 国際競争力のあるドラマの主人公
塩野七生が『男の肖像』で面白いことを書いていました。イタリアというのはときに天才たちを[ルネサンス時代のようにウンカのごとく輩出する時期]があって、それで[かろうじて成りたっている民族]だというのです(p.61)。飛び抜けた天才が確かにいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとして、マルコ・ポーロもコロンブスもイタリア人です。国際競争力のあるドラマになる人物は日本にいるのでしょうか。そんな話を塩野は書いていました。なかなかこういう発想が出てこないでしょう。
まず織田信長がその候補になるはずです。ただし条件があります。[比叡山焼打ちや一向一揆を逃げないで描けば]ということです。これによって[日本が政教分離を容易に実現できた基盤のひとつを理解することができ]るからということでした。
2 世界に通じる北条時宗
織田信長の場合、日本史でも飛び抜けた人物として扱われますから、それほど意外ではありません。もう一人、塩野はあげていました。こちらはいささか意外な人物だと言ってもよいかもしれません。元寇のときの北条時宗です。なぜでしょうか。
国際的な知名度がないにもかかわらず、国際的に通用するはずだというのです。その理由は、[彼は、モンゴルとカミカゼという、欧米では小学生ですら知っているに条件に恵まれている](p.63)からということになります。言われてみれば、その通りでした。
塩野は書いています。[ヨーロッパと中近東を旅していて驚くのは、モンゴルの影響のすさまじさである]。[襲撃してきて破壊しただけ]だが[爪痕の深さは今でもあちこちに認められる](p.64)というのです。これを撃退したのが北条時宗の時の日本でした。
3 日本史の本の北条時宗の項はどうか?
塩野が[日本人のあいだでの時宗の知名度がなんとも低いのには、あきれてしまった]と言うのは、その通りでしょう。[第二次大戦前までは、神風イコール神国日本式が多く、これではシラけてしまう]が[戦後ともなると、沈黙しかなくなる]のでした(p.66)。
北条時宗は33歳で亡くなります。17歳のときにモンゴルからの使者がやってきました。そのあとが2回の元寇です。文永の役のときが23歳、弘安の役のときが30歳でした。まさに[モンゴル襲来にはじまり、モンゴル襲来にくれた一生](p.66)といえます。
[未曽有の国難]の時期に、[蒙古対策の正面に立ち、事実上の最高指導者であり続けたのが時宗だった]のです(p.67)。24か25歳の時宗は、武士たちを鼓舞し防戦に立ち上がらせることができました。[並みの男の出来ることではない](p.69)でしょう。
塩野の考えに反対でないなら、日本史の本の北条時宗の項を読んでみてください。塩野の描いたアウトラインを、発展させてくれる本が見つかるでしょう。いくつかのポイントを持っていると、専門家でなくても自分の欲しい本が選べる可能性が高くなります。