1 標準的な作成法と組織のカルチャー
今回、操作マニュアル作成講座の参加者に、事前アンケートをとっていただきました。作成経験があるのか、どんな目的で参加するのか、何が知りたいのかといったことを事前にお聞きして、講義内容に反映させようということです。
ご要望の中で一番多かったのは、標準的な作成法が知りたいというものでした。成功した操作マニュアルは確かにあります。そうしたスタイルと内容が、どんな方法で作られているのか、ご説明すれば、標準的な作成法と言ってもよいかもしれません。
多くの場合、出来上がったマニュアルの形式や内容に違いがあったとしても、作成原理に共通性があります。その違いの中には、組織のカルチャーと言うべきものが含まれるのが通例でしょう。各人、各組織ごとに調整することが必要になります。
2 文明は合理的で標準化できる
カルチャーを無視するわけにはいきません。この時、ふと思って、カルチャーつまりは文化というものは、ある種、不合理なものですからとお話しました。慣習と言うべきものですから、理屈があるわけではないのですが、そこに愛着があってなかなか変わりません。
この点、文明というのは合理的なものですから、標準化できます。標準的な作成法のお話が聞きたいという方がいらっしゃいますし、それは大切なことです。しかしカルチャーが入るということも無視できません。こんなことを、ふとお話したのでした。
これは私の定義ではありません。どなたかが言ったことです。誰が言ったのだったろうかと、なんだか気になって考えるうち、思い出しました。司馬遼太郎です。『司馬遼太郎全講演[5] 1992-1995』の「草原からのメッセージ」のなかにありました。
3 「文明」というシステムと「文化」という絆
司馬は言います。狩猟をして暮らしていくのは不安定なものだったけれども、[不安な暮らしをしていた人が、遊牧というシステムを知っていく][これをまねたら楽だ]ということで、[それに参加していく]ことになったのです(『司馬遼太郎全講演[5]:p.55)。
[遊牧は文明であるということです]、[文明は、文化と違うんであります](p.55)と司馬は言い、[文明というのは、徹底的に合理主義なんです](p.56)と語ります。一方、[文化というのは、一言で定義すると、不合理なものです](p.55)。
▼われわれは飛行機文明というものにも参加しています。チケットを買って、離陸するときにシートベルトを締める。それだけで参加できる。手軽なんです。
遊牧も、メソッドをちょっと覚えたら、参加できるわけです。 (p.56)
[決まった日にお不動さんに行く]とか[箸の上げ下ろし]などが文化であり(p.55)。解説の山崎正和が言う通り、[文化は人間に理由のない誇りを与え][人々を集団に結びつける][あくまでも少数者の絆](p.355)です。知っておくべき概念だろうと思います。