1 歴史の定義
歴史というものを、どう定義したらよいのでしょうか。明確にすることは、簡単なことではありません。このとき、基準となりうる定義を示したのが岡田英弘でした。岡田は『歴史とはなにか』に自分の歴史についての定義を示した上で、コメントをつけています。
▼歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである 『世界史の誕生』から :『歴史とはなにか』p.10
岡田は[ここでは、「一個人が直接体験できる範囲を超え」るということがだいじだ]というのです。つまり[歴史の本質は認識で、それも個人の範囲を超えた認識であるということ](p.10)にあります。これに加えて叙述すること、記述することが重要です。
2 文章の記述との関係
歴史とは何かを考えることは、出来事とは何か、経験とはなにかを考えることにもなるでしょう。一個人が直接体験した出来事や経験が、われわれの考えに大きな影響を与えています。これらを客観化するために、個人の体験を超えた歴史が必要になるのです。
ある出来事や経験を、どう認識するのかということが、ものを書くときの中核になります。では文章を書くとはどういうことなのでしょうか。おそらく認識したものを記述することです。このとき、まず誰が認識したのかということが問われます。
誰の認識であるのか、何についてのことであるのか、誰・何が問題です。誰が何について認識するのかということになります。もう一つ、その認識に関して、条件を設定することが必要です。それが[時間と空間の両方の軸]ということになります。
3 「歴史」のある文明
私たちが、「誰・何・どこ・いつ」に関する認識を持つことによって、考えることが成立するということでしょう。「ヒト・モノ・コト」を二分したものが、「誰」と「何」であり、「時間」と「空間」は客観的な基準を示すということでもあります。
いうまでもなく、経験や出来事というものは、ある時、ある場所でしか起こりません。経験や出来事の内容は「誰が・何を・どうした」の形式で記述するのが原則です。これに対して、「いつ・どこで」という時間と場所が条件を規定しています。
行為や現象に対して、どんな状態であると認識するのか、どう評価するのか、これを[時間と空間の両方の軸]によって組み立てていくのが歴史ということでしょう。こうした記録を残していない文明もあって、それを岡田は「歴史のない文明」と呼んでいます。