■「元寇」をめぐって:歴史書の効能

     

1 モンゴル・高麗連合軍

岡田英弘の『歴史とはなにか』について書いた後、思いついたことがありました。「元寇」についてのことです。ちょっと待てよ、どの本に書いてあったのだろうかと調べてみたら、見つかりました。『中国文明の歴史』に以下のように書かれています。

▼三世紀の『三国志』の「魏書」の「東夷伝」の「倭人」の条(いわゆる『魏志倭人伝』)以来、大陸では、日本列島は南北に細長く伸びて、華南の東方海上に達していると思われていた。それでフビライ・ハーンは、南宋に対する作戦の一環として、日本列島を占領して、背後から南宋を突こうと考え、1274年、モンゴル・高麗連合軍を送って日本を攻め、北九州に上陸を試みたが、失敗に終わった。 pp..153-154 岡田英弘『中国文明の歴史』

元の力が強大で[高麗王朝は抵抗の力を失って、モンゴルに降伏することになった](p.144)ので、フビライ・ハーンのもとに出かけて行って[北京の郊外で面会した。フビライは大いに喜んだ](p.145)とあります。連合軍になったのは、こういう経緯でした。

      

2 大陸外への勢力拡大はすべて失敗

「元寇」には2回目があります。[1281年の第二回の日本遠征(弘安の役)も、南宋に関係がある]のです。1279年に南宋の[掃討作戦が完了]したのでした(p.154)。それで旧南宋の水軍を中核部隊として北九州に上陸作成を試みましたが、失敗しています。

元が日本を攻撃した1回目の目的は、南宋の征服のためでした。2回目は南宋が水軍を持っているから、それを使って大陸外への勢力拡大を試みたということです。こうした試みは日本に対してだけでなく、すべて失敗したようでした。以下のようにあります。

▼フビライ・ハーンは、サハリンや、台湾や、ジャワ島に対しても、海を越えて軍隊を送って征服を試みたが、いずれも失敗に終わり、モンゴル帝国を海外に広げることはできなかった。 p.154 『中国文明の歴史』

       

3 複数の視点が必要

日本側からの視点でモノを見ると、外国からの侵略によって国が滅ぼされる危険にさらされたということになります。しかし元のほうでは、一番の目的は南宋の獲得でした。これを見ても、単一の客観的な視点に立って歴史を見るのは、無理なことだとわかります。

日本側は、独立を守るために必死に戦い、その結果、政権がぐらつきました。一方で、神風と神国日本という思想に結びついていきます。さらに、こうした経緯が日本の独立意識を明確にしました。本気で戦い、独立を守ったのですから、大きな意義があったのです。

日本の視点でモノを見るのは原則でしょう。しかし同時に、元はサハリン、台湾、ジャワ島でも失敗しています。日本は特別ではなかったのかもしれません。複数の視点を持つことの大切さを感じます。歴史の本を読む大きな理由も、この辺にありそうです。

黙って側面から協力してもらっていた人が、自分の実力で成果を上げたと思い込んでいるらしい姿を見たことが、何度かあります。これは他人ごとではありません。複数の視点を獲得することが不可欠です。良い歴史の本が必要だと改めて感じました。

      

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