1 英語での場合
日本語教育セミナーの準備をしています。日本のビジネス人も、日本語の読み書きを改めて学ぶ必要があるとの認識が少しずつ広がってきているようです。コロナの感染で延びていた講座が、何とか実現に向けて動き出しています。ありがたいことです。
学術やビジネスの場面において、英語では適切な書き言葉が要求されます。かなり厳格なものです。古田直肇は『英文法は役に立つ!』で、[英語文化圏の現実として、「正しく」英語を書けない人間に対して、ある種の偏見があること](p.27)を指摘しています。
つまり[規範文法に則って英語を書けない人間は一段低く見られてしまう]のです。ところが[最近の英米では、どうもまともに規範英文法を教えていないようで、私の見る限り多くのネイティブは、規範英文法が苦手です](p.27)と記しています。
2 期待された役立つ文法書
英語の場合、18世紀末に規範文法が確立しました。ところが日本語の場合、まだ文法が確立したとは言えない状況です。このため、学者の場合、しばしば外国語との格闘で、自分流の日本語感覚を身につけることになったと語ります。清水幾太郎もそうでした。
一方、よい文章を読んで、そこから学ぶ方法もあります。渡部昇一『英文法を撫でる』によると、フランクリンは[文法に関心が深かった](p.183)そうですが、まだ文法がなかったので、名文を分析的に読んで、その要旨を記し、それを基に文章にしたとのこと。
お手本と比較して違いを見つけて、検証していったのです。渡部は[「ちゃんとした英語を書けるのに役立つ文法書」の出現が待たれていた](p.188)と書いています。しかし皮肉なことに、その後、せっかく確立した規範英文法が教えられなくなりました。
3 日本語運用マニュアルが必要
現実には、古田が『英文法は役に立つ!』で言うように、[いい悪いは別として、現実問題](p.27)として、適切な英文が要求されます。大学でレポートを書く際、規範英文法に沿った記述になるように、マニュアルに規定が並んでいるとのことです(p.17)。
日本でも、リーダーの読み書き能力が低下しているとの指摘がなされています。しかし、このままでよいということにはなりません。やはり再教育が必要になります。フランクリン流の手間のかかる訓練は現実的ではありませんから、別の方法が必要でしょう。
日本語を分析し、修正できるルールと仕組みが必要になります。いわば日本語運用マニュアルともいうべきものがあったほうがよいということです。外国語を勉強しなさいとか、名文から学びなさい…というよりも、もっと直接的な方法でなくてはなりません。
こうした趣旨で、日本語教育セミナーを構想しているところです。具体的な詰めが進みだすと、ざわつくお話も出てきます。日本語文法に関する本をちらっと読むだけでも、問題がいくらでも見つかる状況ですから、これは仕方のないことなのかもしれません。