1 『説得』『細雪』『息子』
先日、日本語の強調形について記すときに、「舟歌」の歌詞を例文にしたところ、この歌が好きだというコメントをいただきました。歌でも小説でも、義務などなしに楽しむときには、好き嫌いが決定的です。好きな歌なら何度も聞くことになるでしょう。
そういえば小説を最近読まなくなったと、改めて感じました。たぶん一番好きな小説はジェーン・オースティンの『説得』です。日本語の小説ならば、現時点では谷崎潤一郎の『細雪』を選びたくなります。これらは今後も、いつかはきっと読むでしょう。
しかし漱石の小説を何度も読むとは思えません。少なくとも『それから』とか『こころ』を読むことはよほどのことがない限り、もうないでしょう。一方、山田洋次のシナリオ『息子』は今後も読み返すだろうと思います。短いですし、こちらの方が好きです。
2 シナリオだけで満足
シナリオを読むなんてと、意外だという人がいました。『息子』は映画用のシナリオで、賞をいくつか獲っている名作のようです。ただ私は映画を見ていません。シナリオだけ読んで、満足しているのです。文字量で言えば、短編小説という扱いになります。
父が主役、息子と女性がキーマンといったところです。息子の住む新宿のアパートに、真夏の早朝、岩手の父から電話が来ます。母の一周忌だから来いと言って電話が切れました。岩手で親族に加わって、お寺から墓地に行き、実家へと移動していきます。
出来の良い兄は結婚して家庭を持つ勤め人ですが、次男であるこの息子は居酒屋でアルバイトをする一人暮らしの人間です。気楽な次男が、最後まで実家に残ります。父親からすれば心配で、出来が悪い息子なのかもしれません。息子はそれに反発しています。
3 語らなくても伝わるもの
このシナリオは3部の構成になっていて、これまでのところがその1です。その2では、息子が伸銅問屋に転職しています。取引先で美しい女性に会うのですが、話しかけても答えてくれません。手紙を書いて強引に渡した後に、女性が聾唖の人だとわかります。
シナリオには「強い衝撃と激しい後悔」とありました。同時に「いいではねえか」と思うのです。こうしてその2は終わります。その3で、父親が軍人会出席のために上京し、帰りに次男のアパートに泊まっていくことになりました。そのときFAXが流れてきます。
女性から「ご飯、まだでしょう。バラ寿司を持って行ってあげます」と。返信は「オヤジが来ている。アンタに会わせたい」でした。両者は結婚するつもりでいます。手紙を渡した後の経緯はわかりません。しかし語られなくても、しっかり伝わるものがあります。
初対面の父親は「あんた本当にこの子の嫁ごになってくれますか」と聞き、頷く姿を見て、「そんですか…」「…ありがとう」と答えます。この父親がどんな人間であるのか、息子がこの父の子であることが語らなくても見えるのです。見事な作品だと思います。