1 画家との会話
先日、今後が期待される画家とお話をしました。国内での成功は、たびたびのことですが、まだ海外で個展をやっていないということでした。そろそろかなというお考えのようです。そう遠くないうちに、海外からのお話が来るかもしれません。
海外からお話が来るためには、情報発信をしなくてはならないでしょう。展覧会のたびに作品を撮影し、HPに載せることも必要になるかもしれません。それをしてくれる人がいない場合、自分でやらなくてはならないですから、あんがいハードルがあります。
HPもいいモノにする必要がありますし、検証が出来なくては、効果も上がらないでしょう。簡単に行くものではありません。画家の仕事に集中しないと、元も子もなくなるね、といった話になりました。活動を広げるには、プロデューサー的な人が必要なのです。
2 音楽と絵画の違い
音楽の世界ならば、世界的なコンクールがあって、それらに入賞したら世界的な演奏家に一気に近づきます。日本人が優勝したというニュースを聞くことも、めずらしくなくなってきました。しかし絵画の場合、音楽のようなコンクールがあるのでしょうか。
池田満寿夫がヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞をとって、版画で国際的になった例もありますが、どうも、音楽とは違うようです。音楽の場合、演奏家と作曲家が原則として分かれています。絵の場合、こういうことはありません。両者は一体化されています。
音楽ならば楽譜という標準的な記述法があり、そこに共通言語がありますし、音楽自体が時間的な流れなしでは存在することはできません。絵画は感性に沿って、画面を構成したもので勝負することになります。そこでは時間は流れていません。
3 芸術とビジネスとの相違
ある種の客観性や論理性が、音楽の演奏の場合、あるのでしょう。絵画の場合、共通言語で語ることが難しいのかもしれません。レベルの高い低いは、間違いなくありますし、それはある種の絶対的な基準になっています。しかし、これは苦労させられることです。
成果物たる絵が鑑賞者に、どのように受け取られるのか、画家本人は簡単にわかるものではないでしょう。知り合いや先輩、あるいは画商さんたちと話すうちに、少しずつ反応を感じ取れるのかもしれません。励みにはなっても、参考になるのかどうかは微妙です。
ビジネスならば「見える化」されれば、わかりやすくなりますが、絵画の場合、そう簡単なものではないでしょう。好き嫌いが正面に出がちです。それでも、たぶん見てくれる人たちのレベルに影響されながら、絵の水準は決まってくるのでしょう。
芸術の場合、創り出す人側と受け取る人側の2つの水準が、各個人というよりもその社会全体の水準をつくりだしているように思いました。これに比べれば、ビジネスの評価は定量化が容易ですからシンプルです。同時に芸術と同じ構造があることも確かでしょう。