1 接尾辞「サ」で形容詞を判別
三上章の『現代語法序説』はもはや歴史的な本といってよいかもしれません。刺激的な日本語文法の本です。三上は「九品詞表」を掲げ、「主要語」と「副用語」を区分し、さらに活用の有無により「名詞・代名詞」「動詞・形容詞」を区分しています(p.6)。
ここに[形容動詞はもはや形容詞である]と注記されていました。第一章「私の品詞分け」には[語幹に当たる部分に接尾辞「サ」がつけられるもの]を形容詞とするとあります(p.42)。「黒い⇒黒さ」「静か⇒静かさ」のように、「さ」をつけることは可能です。
しかし「黒い」は形容詞であり、「黒さ」は名詞でしょう。「静か」は「静か・です/静か・だ」と言えますから、体言です。「静かさ」は名詞相当語でしょう。これは「きれい」の場合も同様です。「きれい」は体言、「きれいさ」は名詞相当語になります。
2 実態とのズレ
「黒い」も「美しい」もある帯域の状態を示した言葉です。程度を表す「とても/すこし/かなり」などの言葉を、前につけることが出来ます。「黒さ」「静かさ」の場合、帯域ではなくて、ある固定された状態を示しますから、程度を加えることはできません。
小松英雄は『日本語はなぜ変化するか』で、「静か」から生み出された2つの言葉である「静かに(副詞)」と「静かな(連体詞)」をセットとしていました。このことからすると「静かさ」の場合、名詞相当語というよりも名詞と言ってよいのかもしれません。
「走る」は動詞、「走り」を名詞とするのと同様です。ここでは主体になれる言葉を名詞と呼んでいます。「走りが・違う」とか、「黒さが・目立つ」、「静かさが・際立ちます」と言える言葉です。三上の形容詞概念には、実体とのズレがあるように思います。
3 文末・主体との関連付けが必要
言葉をセットで考えるとすると、「静か」に対して「静かさ」「静かな」「静かに」がセットになるでしょう。一方、「黒い」「黒さ」、あるいは「美しい」「美しさ」が対になり、「走る」「走り」、あるいは「動く」「動き」が対になっていると言えます。
「幸せ」や「平和」の場合、「幸せな/幸せに」「平和な/平和に」というセットが考えられるでしょう。一方、「幸せさ」「平和さ」という言い方は、あまりしません。「幸せが・大切」「平和が・大切」のように名詞という意識があるからだろうと思います。
「さ」という言葉がつくのか、つかないのかで、形容詞であることを判別するのは、個別で見ると無理があるのです。さらに三上の場合、活用の有無の判別法も明確にしていません。文末や主体と関連付けた判別法でないと、安定性の点で問題を生むことになります。
文末の形式「です・ます・である」のつき方で判別するか、主体となる言葉に「は・が」を付けられるか否かで判別するのが王道ということです。あるいは言葉のセットを見つけることがポイントになります。三上のいう形容詞概念は、実際には使えないのです。
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