1 ついついそういう言い方をする場合
言葉の変化について、小松英雄『日本語はなぜ変化するか』の考えを前回紹介しました。あれで分かると思ったのは甘かったようです。よくわからないという人がいました。それでは…ということで、今回は別の書き方をしてみようと思います。
言葉の運用が変わっていくときの一番の要因・動因は何か、それを小松は[類推による言い誤りに起因している]と書いていました(p.215)。「起因している」だけでは言葉が変わりません。誤った言い方に対する、相手の受け止め方が問題です。
[相手がその表現を即座に理解し、自分もそういう表現をしたかったのだと感じる場合]に、その表現が広がる可能性が出てきます(p.215)。誤りであっても、ついつい、そういう言い方をしてしまうということです。その結果、言葉の運用が変わっていきます。
2 相手に抵抗を感じさせない言い方
言葉の変化というのは、言葉の運用に関するイノベーションだと捉えることもできるでしょう。言葉が今までよりも、[相手に抵抗を感じさせない]ものになっていくのです(p.241)。そのほうが効率的に相手に伝えたいことが伝わります。
この場合、言い方が一つに収斂していくわけではありません。逆に複数の言い方が必要になります。[相手しだいで、いくとおりもの正しい日本語があり、その場に応じてそれらを適切に使い分けるのが言語運用の能力である](p.241)からです。
ドラッカーは『イノベーションと企業家精神』でイノベーションを起こす機会を7つあげていました。その第一の機会が「予期せぬ成功と失敗を利用する」です。「類推による言い誤り」が予期せぬ成功に当たります。それが利用されて定着した言い方になるのです。
3 ドラッカーの分析との類似
人為的に、こういう言い方にすべきだと主張しても、言葉の言い方、運用の仕方は変わりません。たまたまうまい言い方をしてしまったということです。それがじょじょに取り入れられていき、あるところから、その言い方に市民権が与えられることになります。
ドラッカーは[予期せぬ成功ほど、イノベーションの機会となるものはない]と書きました。そして[予期せぬ成功はほとんど無視され]ます(『イノベーションと企業家精神』p.18)。なぜなら[長く続いてきたものが正常]だと感じるからです(p.20)。
言葉の運用の場合も同様でしょう。既存の言い方を変えるのに抵抗があります。その抵抗を超えて変化がもたらされるには、[相手がその表現を即座に理解し、自分もそういう表現をしたかったのだと感じる](『日本語はなぜ変化するか』p.215)ことが必要です。
小松英雄の考えは、ドラッカーのイノベーションの機会の分析と類似しています。日本語の変化の動因を「予期せぬ成功」=「類推による言い誤り」にあると分析しました。小松の分析が妥当だろうと私が類推したのも、ドラッカーを読んでいたからかもしれません。